産まれた瞬間の記憶〜世界は眩しかった①
今までひたすら突っ走ってきた気がする。
しかし最近は何がしたいのか分からず、立ち止まってしまっている。
起業するぞと思って、出資直前まで行ったのに、結局会社を設立することはしなかった。
何かがおかしい。俺は崖を眼の前にして、ひるむ人間なんかじゃ決して無い。
何が自分をそうさせているのか意味がわからなかった。
しかも同時に色んな事が重なって本当に最悪な気分だった。
でも言葉にできない何かを感じていた。
今こそ、この試練と向き合わなければいけない気がしていて、
人生で起こる全てのことには意味があるはずだ。
実はこのタイミングで挫折が訪れたことにも、意味があった。と少なくとも思っている。
もしも神様がいるとしたらこう思っていたはずだ。
やっと必要なピースが揃ったのだから、今こそその逆境を乗り越えなさい。
(どういうことかを具体的に書くと長くなるので今回はハショる。)
思い返せば、レールの上を歩くということに疑問を持った小学生の頃から10年間、人生の何もかもを変えたくて、必死にもがき続けて生きてきた。
先日ふと、忘れていた、あることを思い出した。
親が憎くて憎くてたまらなかった12歳の当時、
少しでも親の影響が及ばない人生を歩みたいと思っていた。
自分に同じ血が流れていると思うだけで、吐き気がしたのだ。
そんな幼い頃の自分がひねり出した答えは、
「親が言ったことと全て真逆のことをする」ということだった。
中学受験の回答を白紙で出した。
非行にも走った。
親が嫌がりそうなことは何でもやった。
確かにめちゃくちゃだった。
それでこそ自分でいられると思っていたのかもしれない。
高校へ進学せずに、働きに出ることを考えていたあの頃、担任に諭されて選んだ道も、親元から離れて、自由になって、一人でも生きていけるようになるためだった。
人生が想像もつかない方に行けば行くほど、安心できた。
大学生になって、ボクサーになろうとしてみたり、起業家になろうとしてみたりしたのは、自分の人生を裏切り続けたかったからかもしれない。「人生、何が起こるか分からない方が楽しい」だとか、「苦労や失敗が多い道の方が後で振り返って面白い」なんて色々後付けしても、本当の気持ちは、昔のままだったのかもしれない。
ただ自分の人生を変えたくて必死だった。
さらには、何か突飛なことをして認められることでしか、自分の存在意義を感じられない承認欲求の塊だった。
自分で自分をきつく縛って生きてきたというのは、彼女に言われた言葉だけれど、間違いじゃないかもしれない。尖ったことをし続けなければと思っていた。
それが違和感となって現れたのかもしれない。
何のためにボクサーになるのか、何のために起業家になるのか分からなくなっていた。
俺は使命を持っているはずなのに、一向にベクトルがそこに向かわないことがおかしいと思っていた。自分の承認欲求を満たすことの方が大事だったんだろう。他人に矢印が向いていたのだ。
今、自分の内側から沸き起こっている気持ちとは何なのだろうか。静かに自分に目を向けた。
ボクシングを通して数えきれない数の人に愛された。
大切な同期はボクシングを抜きにしても大切だ。
アルバイトの帰り道、先輩や後輩と笑い合って過ごしているだけで幸せだった。
意味のわからないほど自分のことを好きでいてくれる彼女ができた。
帰ればみんなを集めて迎えてくれる地元の仲間たちがいる。
上京して、どうやって知り合ったかわからないけど仲のいい人達も大勢いる。
十分すぎるほどに愛されていると、そう感じられた時、
突飛なことをしたりだとか、あえて人と違うことをすることには、
もう価値が無いんだと気付いた。
人と比べてどうとかいうよりは、
自分が使命を果たすために生きられること、
それ自体が特別だと思える気がする。
起業と就職で世の中を分けていた自分は浅はかだ。本当は一人一人が特別なはずだ。
なぜなら、あらゆるものに支えられて生きているにも関わらず、一人一人が果たすべきだと感じられる役割は、それぞれが経験した人生の中からしか捉えられないからだ。自分にしかできないことがある。だからボクシングや起業はやめて、つまり、これまでの生き方はやめて、新たに人生を踏み直そうと思う。その結果がどう出るかはわからないけど、人生の何かを超えた気がする。そして蓋を開けてみれば、ボクシングや、起業に向けて得た経験は、全てこの試練と戦うために必要なものだった。人生は不思議だ。俺は有神論者では無いけれど、全てが導かれているような気がしてならない。
そうとなると自分は何のために、どうやって生まれてきたんだろう。
消えていたというか、消していた記憶に、さらに踏み込んでいくと、意外にも色々覚えていた。そこで掘り起こした記憶は信じがたかった。自分には産まれた瞬間の一瞬の記憶が残っている。続く。