りゅうえの1人で内省ブログ

ブログ初心者です。

自分を信じる〜弱さと向き合う

小さい頃から承認欲求が異常に強かった。頑張ることで誰かに認めてもらいたかったし、人と違うことをして特別な存在になりたかった。それが、良い方に向くこともあれば、悪い方に向くこともあった。中学生の頃なんかは、とにかく先生の目を引くために自傷行為を行ったり、用もないのに保健室へ行ったりした。度を過ぎて、その内、自分自身が不幸でいたがっていることに気がついた。大人に気にかけてもらえると嬉しかったからだ。愛して欲しければ、ただそう言えばいいのに、それが出来なかった。それすらも認めたくなかったけれど、担任に本当は心配されたいんだろと言われて、頷くことしかできなかった。

 

実はその異常な承認欲求はこの頃まで変わっていない気がする。それでも上手く行っていたようなのは、承認欲求が満たされていたからだ。結果を出したり、多くの人が頑張りを認めてくれたりして、自分を保っていた。

 

それが少しずつ変わって行ったのが大学に入って2年目くらいからだ。今までより愛情表現が上手になって、他人と心が触れ合う付き合いができるようになった。その瞬間、瞬間で愛されている実感があったから毎日幸せだったし、それ以上求めることはなかった。ボクシングやアルバイトは日々その繋がりを与えてくれて心の支えになっていたのかもしれない。

 

それが崩れかけているのがここ最近だ。身近な人に認めてもらうことで、心が保てていた自分が、そう感じられなくなってしまっていた。一番身近だった恋人が留学に行ってしまったことが大きい。いつのまにか完全に依存しすぎていた。一番支えになっていた人がいなくなって心にぽっかり穴が空いてしまった。今は彼女は自分のことに集中していて、これ以上頼るわけにはいかない。こんな時に頼れないのは苦しいけど、それも自分のせいだ。少しばかり社会的繋がりを失ってしまっていたことに気がつかなかった。友達と遊んだ方がいいと言われたけれど、そこを言ってきたのかもしれない。こんな状況を変えるにはやっぱり環境を変えるしか無い。それに俺の愛はまだまだ未熟だ。見返りを求めてしまう。俺はこんなにあなたのことを自分のことのように考えているのに、あなたは自分のことしか考えないんですかって、思ってしまう。カッコ悪い。せこい。北風と太陽の太陽になりたい。俺に与えられたのは、もっと大きな愛で全てを受け入れろという試練に違いない。逃げてはいけない。

 

それと同時に他者に依存しすぎていたことも、よくなかったかもしれない。他人からの承認を得るために色んな工夫をしてきたけれど、自分で認められる自分でいるためにも出来ることがもっとあったかもしれない。俺はいつだって死ぬほど頑張ってる。そのことを誰かに、特に恋人には認めてもらいたかったけれど、そうやって他人からの承認がないと生きていけない自分だから、他人の人生にコントロールされてしまう。避けられないことに、左右されるのは自分のせいだ。

 

こんな人生だけど、俺はいつだって誰にも負けないくらい死ぬほど頑張ってきた。それは自分が一番よく知っていて、苦しいことも悲しいことも、言い訳せずに乗り越えてきた。どうにもならない時は、自分の人生を信じて実現させてきた。人からどう思われたって、大丈夫。きっと全ては上手くいく。

 

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産まれた瞬間の記憶〜世界は眩しかった①

今までひたすら突っ走ってきた気がする。

しかし最近は何がしたいのか分からず、立ち止まってしまっている。

起業するぞと思って、出資直前まで行ったのに、結局会社を設立することはしなかった。

何かがおかしい。俺は崖を眼の前にして、ひるむ人間なんかじゃ決して無い。

何が自分をそうさせているのか意味がわからなかった。

しかも同時に色んな事が重なって本当に最悪な気分だった。

でも言葉にできない何かを感じていた。

今こそ、この試練と向き合わなければいけない気がしていて、

人生で起こる全てのことには意味があるはずだ。

実はこのタイミングで挫折が訪れたことにも、意味があった。と少なくとも思っている。

もしも神様がいるとしたらこう思っていたはずだ。

やっと必要なピースが揃ったのだから、今こそその逆境を乗り越えなさい。

(どういうことかを具体的に書くと長くなるので今回はハショる。)

 

思い返せば、レールの上を歩くということに疑問を持った小学生の頃から10年間、人生の何もかもを変えたくて、必死にもがき続けて生きてきた。

先日ふと、忘れていた、あることを思い出した。

親が憎くて憎くてたまらなかった12歳の当時、

少しでも親の影響が及ばない人生を歩みたいと思っていた。

自分に同じ血が流れていると思うだけで、吐き気がしたのだ。

そんな幼い頃の自分がひねり出した答えは、

「親が言ったことと全て真逆のことをする」ということだった。

中学受験の回答を白紙で出した。

非行にも走った。

親が嫌がりそうなことは何でもやった。

確かにめちゃくちゃだった。

それでこそ自分でいられると思っていたのかもしれない。

高校へ進学せずに、働きに出ることを考えていたあの頃、担任に諭されて選んだ道も、親元から離れて、自由になって、一人でも生きていけるようになるためだった。

人生が想像もつかない方に行けば行くほど、安心できた。

大学生になって、ボクサーになろうとしてみたり、起業家になろうとしてみたりしたのは、自分の人生を裏切り続けたかったからかもしれない。「人生、何が起こるか分からない方が楽しい」だとか、「苦労や失敗が多い道の方が後で振り返って面白い」なんて色々後付けしても、本当の気持ちは、昔のままだったのかもしれない。

ただ自分の人生を変えたくて必死だった。

さらには、何か突飛なことをして認められることでしか、自分の存在意義を感じられない承認欲求の塊だった。

自分で自分をきつく縛って生きてきたというのは、彼女に言われた言葉だけれど、間違いじゃないかもしれない。尖ったことをし続けなければと思っていた。

それが違和感となって現れたのかもしれない。

何のためにボクサーになるのか、何のために起業家になるのか分からなくなっていた。

俺は使命を持っているはずなのに、一向にベクトルがそこに向かわないことがおかしいと思っていた。自分の承認欲求を満たすことの方が大事だったんだろう。他人に矢印が向いていたのだ。

 

今、自分の内側から沸き起こっている気持ちとは何なのだろうか。静かに自分に目を向けた。

 

ボクシングを通して数えきれない数の人に愛された。

大切な同期はボクシングを抜きにしても大切だ。

アルバイトの帰り道、先輩や後輩と笑い合って過ごしているだけで幸せだった。

意味のわからないほど自分のことを好きでいてくれる彼女ができた。

帰ればみんなを集めて迎えてくれる地元の仲間たちがいる。

上京して、どうやって知り合ったかわからないけど仲のいい人達も大勢いる。

 

十分すぎるほどに愛されていると、そう感じられた時、

突飛なことをしたりだとか、あえて人と違うことをすることには、

もう価値が無いんだと気付いた。

 

人と比べてどうとかいうよりは、

自分が使命を果たすために生きられること、

それ自体が特別だと思える気がする。

 

起業と就職で世の中を分けていた自分は浅はかだ。本当は一人一人が特別なはずだ。

なぜなら、あらゆるものに支えられて生きているにも関わらず、一人一人が果たすべきだと感じられる役割は、それぞれが経験した人生の中からしか捉えられないからだ。自分にしかできないことがある。だからボクシングや起業はやめて、つまり、これまでの生き方はやめて、新たに人生を踏み直そうと思う。その結果がどう出るかはわからないけど、人生の何かを超えた気がする。そして蓋を開けてみれば、ボクシングや、起業に向けて得た経験は、全てこの試練と戦うために必要なものだった。人生は不思議だ。俺は有神論者では無いけれど、全てが導かれているような気がしてならない。

 

そうとなると自分は何のために、どうやって生まれてきたんだろう。

消えていたというか、消していた記憶に、さらに踏み込んでいくと、意外にも色々覚えていた。そこで掘り起こした記憶は信じがたかった。自分には産まれた瞬間の一瞬の記憶が残っている。続く。

 

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初めてのお客様に頂いた1万円。大変なことになった6畳半。

初めて頂いた1万円。正確には仲間の分も預かって2万円。

 

仲間と不用品回収をしていた時の初めてのお客様だった。そこそこ年配の夫婦だ。由緒正しい住宅街の一角で、部屋は先代から受け継がれたままの姿だった。それは、ものすごい量の書籍や遺品だった。というのも昭和初期は、インターネットが無く、名刺やハガキなどすべてを現物で管理する必要があったからだ。当たり前に感じるけど、その紙の匂いや筆跡から感じる、当時の気配に少々圧倒された。

 

部屋の整理を無償で行い、代わりに不要なもの(価値のある)を頂くという話だった。当日は12時間ほどかかったが、仲間と二人で掃除をやりきった。結構な量のゴミ袋の山となったものの、回収日が異なるので、最終的にそれらを家の中の玄関先に運んで仕事を終えた。

 

夫婦には「ゴミの回収日に、またお手伝いを」と頼まれたが、この時は丁寧にお話しした上で、察していただき断るという選択をした。やらないことをやらないという勇気を持ったつもりだった。利益を出すことに、徹底的にこだわっていた。

 

しかし自責の念が消えなかった。「責任を持って仕事をしたと言えるだろうか。」「ゴミ出しで、本当に体は大丈夫だろうか。」結局、夫婦に電話をかけ直し、回収日の日に、無償で手伝いをさせていただくという話をした。

 

そして回収日の日、張り切ってゴミを出すと、意外にも10分で終わる程度だった。少し心配しすぎたなぁと思いつつ、夫婦と雑談をしていると会話に花が咲いて、驚きの共通点や繋がりを発見したりもした。ゴミだししたことや、会話相手になってくれたことをとても喜んでくださり、自身も損得勘定抜きで役に立てていることが嬉しかった。

 

そんな日の帰り際に頂いたのが、二つの封筒だった。「一万円成。」と書かれていた。

前日に一緒に仕事をした仲間の分も入っていた。

 

パラダイムシフトだった。それまでは「頂いたお金の分をしっかり働く」という考えだった自分に、「お金は、お客様に喜んでもらえた時には、後からついてくるものだ」という感覚が生まれた。

今でも関係は続いている。

 

本は結局一冊も売れず、自宅が大変なことになっただけだった。

今となっては面白い失敗もたくさんあり、不用品回収は良い経験だった。

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本気で打ち込み続けた本当の理由

りゅうえです。

さいきんは随分涼しくなってきました。

ことしの夏もそろそろ終わるのでしょうか。

大学の休学期間の半分が過ぎ、

好きなことばかりもしていられなくなってきました。

 

そんな僕ですが、これまでの大学生活で何をしてきたかといえば、主にボクシングです。たまに、なぜボクシングを始めたか聞かれるのですが、これまでは「スポーツで本気で勝負したかったから」「後悔したくなかったから」「挑戦したかったから」「偶然始めることになった」など答えてきました。卒業後は、プロでボクシングをしながら、起業して生きていけばいいやと思っていました。が、果たしてどこまで本当に将来のことを考えていたかは分かりません。

 

ここで一度話は遡り、先日ふと中学時代のことを思い出していました。陸上長距離に一心不乱に打ち込んでいた頃です。顧問に言われたことがありました。「お前は陸上をやっている時だけは、何も考えずにいられて苦しくなさそうだったから陸上は続けさせたかった。」この背景には家庭環境の問題がありました。確かにかなり憔悴していた時期があるのですが、そんな中でも陸上に打ち込む時間は、全てを忘れさせてくれました。もしかしたら、アドレナリン中毒のような状態だったのかもしれません。そしてもう一つ、スポーツを夢中でやったのは、多くの人に存在を認めてもらいたかったからです。僕は幼い頃から何をしても親に褒めてもらえたことがなくて、その時は相当寂しかったのだと思います。ただただ構って欲しかったという方が近いかもしれません。僕自身それをうまく表現する方法がなく、自傷行為に走ったり、怒られるようなことをしてみたり、みんなの前で面白いことをやってみたり、あらゆる手で周りが自分に注目するように仕掛けてきたのかもしれません。

 

ボクシングを始めて、これからスタートアップをやろうとしていたのも、それ自体が目的になっていた所があります。非凡なことをして、結果を出して、少ししたら新しいことに挑戦して、常に人の気を引こうとして来ました。そしてアドレナリン中毒でもあります。それ自体が目的になるということは、その先には何もないです。あとで話す時に面白ければいいやくらいの考えです。ここで驚いたのは、成長していると思った自分が今だに、何にも満たされなくて反抗期だったあの頃の延長線上で生きていたことです。何がそんなに満たされていないんだろうか___と思いました。

目を閉じて一人一人に思いを馳せれば、そんなに愛してくれるのか、みたいな人達の顔が思い浮かびます。だから、もう無理しなくていいよ。って自分に言いたいです。彼女と出会ってから変わった部分も大きいです。

 

今後は達成したい未来のために生きます。大切な家族や、仲間、未来の子供達のために愛をいっぱい広げていけるように生きます。

 

ということで、誰も見ていませんが報告です。

清水、就活を始めました。

その上で、やりたいことをやっている会社が無かったら、起業も考えます。

随分出遅れましたが、頑張ります。


それでは、おやすみなさい。

 

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6戦中5戦がKO決着

大学生活のほとんどを捧げたボクシングを引退した。

濃密であっという間な三年半だった。戦績を振り返る。

 

1戦目 ○2R RSC勝ち。大会MVP

2戦目 ●2R RSC負け。

3戦目 ○3R判定勝ち。

4戦目 ●1R KO負け。

5戦目 ○2R RSC勝ち。

6戦目 ●1R KO負け。

(*○=勝ち ●=負け)

(*RSC=レフェリーストップで勝つこと)

 

改めて見てみると、壮絶な戦いぶりだ。大会でMVPをとったかと思えば、血まみれで負けたり、圧勝したかと思えば、1R1発目のファーストコンタクトで失神して負けたり、判定まで行ったことは一度しかない。顔を腫らしすぎて、パンケーキ屋さんで客の前に出るなと怒られたこともあった。

 

練習では堅実な勝ちを求めてやっていたのに、試合になると全てを忘れて気持ちが前に出てしまうのが自分だった。反省すべき点ではあるが、引退して少し経った今、この結果には誇りを持っている。どんなに怖かった試合にも、真正面から戦いに挑むことができたからだ。ボクシング生活を通して、一番怖かったのは、パンチを貰うことよりも何よりも、負けた自分の姿を考えることだった。それまでは戦いを避けて自分のルールで生きてきた。プライドが高くて、自分の弱い部分を見つめることがどうしてもできなかった。事実、初めて負けた試合は、かなりの時間見返すことができなかった。試合はそんな自分を乗り越える挑戦でもあった。

 

キャプテンとして挑んだ最後の試合は敗れて初めて後輩の前で号泣した。

他大学の監督は声をかけてくれた。試合から熱い気持ちや覚悟が伝わってきたよと。

真正面から自分と向き合った三年半は、弱さと向き合う強さをくれた。

 

デビュー戦でMVPをいただけたこと。ボクサーの端くれとして、一流のプロボクサーたちと汗を流したこと。嬉しさも悔しさも存分に味わって、沢山の人にお世話になった。その充実した日々や、出会いに感謝したい。

 

 

 

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世界一簡単な自己紹介

清水りゅうえ(21)

青山学院大学 経営学部 休学中 

元ボクシング部主将(高校までは陸上長距離)

パンケーキ屋さんの店員→ハンバーガー屋さんの店員

身長178cm 牡羊座

絵が得意

趣味はギターと料理と読書と昼寝と散歩

毎日一人以上笑わせることを目標に生きている

利き腕は右。でもどっちかを残せと言われたら左腕を選ぶ。から左利きの説もある。

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ラップコンテストでムービー作って入賞したことある。くらいHIPHOPも好き。